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生年月日 | 1941年07月21日 |
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所属 | 環境生態学科 | |
役職 | 教授 | |
研究室 | B3-302 | |
内線 | 8313 | |
最終学歴 | 北海道大学理学部地質学鉱物学専攻修士課程修了(1971年3月) | |
学位 | 名古屋大学博士(1976年〜1982年) | |
職歴 | 名古屋大学水圏化学研究所助手(1976年〜1982年) 滋賀県琵琶湖研究所総括研究員(1982年〜1995年) 滋賀県立大学環境科学部教授(1995年〜 ) |
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専門分野 | 環境地学、自然環境学 | |
担当科目 | 滋賀の自然史,自然地理学, 地学1,地学実験,環境地学, 環境フィールドワーク1,環境フィールドワーク3, 大気水圏科学・実験,自然環境特別実習, 専門外書講義1,専門外書講義2, 大気水圏環境論,土地利用計画 (詳しくはこちらを参照してください.) |
ぼくは山岳部卒業の落第生だった。北大理学部を卒業するのに、8年もかかったから、理学部卒業とは、はずかしくて言いにくい。そのかわり、山岳部関係のことは自分が魅せられたことだから、一生懸命やったので、山岳部卒業と言わしてもらえるのではないか、と思う。その山岳部関係のことで回り道をしたことが、現在ぼくがやっている氷や雪の研究と深く結びつくことになる。
良くも悪くも、学生時代の体験が現在の自分たちの生き方のルーツになることが多いのではなかろうか。ぼくは、いわゆる「安保闘争」を契機に大学紛争がはなばなしかった1960年代の学生世代に属するが、大学紛争の方はもっぱら友人たちにお願いして、北極やヒマラヤなどの極地調査に精をだしていたのである。
1960年代初めには、北極海を漂流する氷島に1年半滞在し、海洋や氷雪などの観測を行った。その氷島が北極点付近から東グリーンランド海流にのって大西洋のアイスランド近くまで出てきてしまった。すると、氷島が解けてきたので、砕氷船に助けられるはめになった。この1年半はぼくにとってはアルバイトでもあった。その軍資金で、氷島脱出後イギリスへ渡り、2カ月間のヨーロッパ自転車旅行、3カ月にわたる南西アジアのヒッチハイクの後、山岳部の人たちが踏査していたネパール氷河・地質調査隊に合流し、半年ほどをヒマラヤで過ごすことができた。この、東回りで行った2年半の地球1周の踏査旅行をすませ、大学にもどると、ぼくは3年間落第することになったが、ちっとも後悔しなかった。むしろ、極地の自然を知りたいというぼくの進む方向が定まったので、心は充実していたように思う。
長いこと大学の寮暮らしもしたので、皆の2倍ぐらい友だちをもっているかもしれない。なにせ、卒業までに皆の倍の8年もかかったからだ。大学紛争で対立する両派にも、たくさんの友人がいた。ぼくにとって大切な財産である、それらの友人からは「このような時に、どうして海外調査などに行くのか」と言われたりもしたのだが、ヒマラヤなどの極地の自然を知りたい気持ちは抑えることができなかった。そのようにして3年間落第した後も、アラスカやヒマラヤへと相変わらず向った。が、そろそろ卒業年限までのデッドラインが近づいてきたので、もう1年だけは落第することにし、8年目に卒業したのである。
この回り道を実現するためには、アルバイトのほかに、調査隊の寄付集めのための会社回りなどかなりしんどいこともやった。当時は、大学や家庭にも今よりも自由にさせてくれる雰囲気があったように思う。金はなかったが、そのかわり、ぼくには時間がたっぷりあった。そんな中で、雪崩調査や北極の氷試料採集のアルバイトを友人たちと請け負って稼いだ資金で、1年間にわたる学生によるヒマラヤ調査も行ったことがある。県立大の学生たちと話していると、その当時をなつかしく思いだすのである。(そこで、今年の夏休みに、フィールド・ワーク・クラブの面々とヒマラヤ踏査を思い立ったのであった。)
その回り道のおかげで、国内外にたくさんの友人ができた。その友だちの財産にくわえて、北極の観測基地ではアメリカ人などと暮らしたので、軍隊なまりではあるが、英語のヒアリングがかなり上達したと思う。だから、たとえば癖のあるインド英語を聞いても、わりとついていける。また、ヒマラヤの生活も長かったので、日常生活に困らないほどネパール語を話せることができるようにもなった。このところ長いことネパールには行かないが、ときどきネパールの友人から電話がかかってきても、ネパール語が自然にうかび、話すのにさほど困らない。若いときに体験し、覚えたことはなかなか忘れないのであろう。
8年目の卒業の後は、ぼくの方向が定まっていたから、修士・博士課程では留年はなかった。修士・博士論文は、ともにヒマラヤの氷雪現象でまとめることができた。氷や雪は、琵琶湖にとっても重要な水資源であるので、現在は積雪現象を中心に、琵琶湖の水資源の基礎的な過程である水循環の研究も行っている。それも、かっての山岳部関係の回り道の貴重な体験、つまり「山岳部卒業の落第生」のおかげである。